ケン・ローチ監督が描くギグエコノミー〜「家族を想うとき」を観て

試写会のトークイベントにお招きいただいて、12月13日(金)から公開の「家族を想うときを一足お先に観せてもらったのですが、最初から最後までずっと辛かったです。

一度は引退表明したケン・ローチ監督がギグエコノミーをテーマに再びメガホンを取った映画。見終わっても救いがなさ過ぎてズーンときました。

「自営業者を語るときに、一口に語ってはいけない」。それはフリーランス協会を設立した時からずっと叫び続けているメッセージです。

プロフェッショナルスキルや知見を提供して自己裁量で働くのと、単純労働の日雇い(ギグ)で働くのは、同じ自営業者でも天と地ほどの差があります。当協会のアドバイザリーボードでもある神戸大の大内先生の言葉で言うなら「準従属労働者」と、プロフェッショナルフリーランスは似て非なるものです。

その境目は何なのかというのがずっと問われ続けているわけですが、最近私なりに思うのは、時間や場所の制約の有無に加えて、自ら価格と業務ボリュームを決める裁量があるかどうかということ。その2点を自分でコントロールできないなら、それは労働者性が高いと言えるのではないかと考えています。

それで言うと、この映画の主人公リッキーは、少なくとも独立したプロフェッショナルの自営業者とは言えないでしょう。

フリーランス協会は、いわゆるプロフェッショナルフリーランスの文脈では「ライフリスク対策(働き方に中立な社会保障制度)」と「ビジネストラブル対策(契約トラブル、ハラスメント等の対策)」の2つを求めているわけですが、準従属労働者においては「ビジネスリスク対策(最低報酬や労働時間規制、失業保険等)」も含めて労働法による保護が検討されるべきと考えています。

協会ロゴが古いのですが、こちらのピラミッドは2017年度の政策提言でよく使っていた図です。解説は下記のレポートをごらんください。

▼「フリーランスをめぐる法制度の議論 〜現状とこれから〜」神戸大学の大内伸哉教授をお招きしたラウンドテーブルを開催しました。(2017年8月)
https://blog.freelance-jp.org/20170827-56/

機会平等さえ担保できれば、自由競争の市場原理で神の見えざる手が動いて調整されるというネオリベラリズムを日本が受け入れた背景には、人間平等主義の幻想があり、私はそれは偽善のように感じます。

少し前に出ていたこちらの記事は、日本人の人間平等主義からくる「能力差の認知回避現象」を指摘しています。

「同一労働同一賃金」が格差を生むワケ

酷な事実かもしれないけれど、人間には先天的にも後天的にも能力差が存在します。もちろん人間の能力評価は一元的ではないので、それぞれに何かしらのタレント(才能や得意不得意)があり、人としての総合力で画一的な優劣が付くものでは決してありません。

しかし、こと「ホワイトカラーの仕事で成果を出して稼ぐ」という一面のみを見ると、そこには努力だけでは超えられない差が出てくるのは事実で、市場原理だけに任せていたら格差は不可避です。同様に、人間のコミュニケーション力や関係構築力にも個人差がありますから、「助け合い」や「シェア」だけで解決できるものとも思いません。

ですので、引用した記事内で言及される同一価値労働同一報酬にはフェアネス観点で賛成ですが、一方で社会保障は必要だし、出来る人が出来る限り出来ることをやるという、ノブレスオブリージュの精神が大事なのだと思います。

▼家族を想うとき 特別試写会トークイベント

フリーランス協会代表理事 平田麻莉登壇 ケン・ローチ監督『家族を想うとき』トークイベント

なお、先日のIndependent Power Fes 2019のスペシャルセッションに登壇してくださった元WIRED編集長の若林恵さんが贈る読書会「66ブッククラブ」で、次回12/3は、『ウーバーランド』を取り上げるそうです。

「ウーバーの雇用問題を通してプラットフォーマー規制という課題を、労務の観点から読み解き、来るべきフリーランス社会、ギグエコノミー、さらには働き方改革の光と影など、これからの経済と仕事の行方についてディスカッションしながら、新しい本との出会いを、参加者のみなさんとともに探してみたいと思います」とのこと。

IPFでも若林さんのギグエコノミーに対する視点の投げかけは多くの方が刺激になったと思います。ゲストスピーカーは独占禁止法、公共契約を専門とされる上智大学法学部教授の楠 茂樹さんです。

ご関心ある方はぜひこちらからお申し込みください!
https://www.academyhills.com/seminar/detail/191203.html

 

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